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ビージーズの楽曲とアルバムを紹介。

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ビージーズ(英: Bee Gees)は、英国王領マン島生まれのイギリス人の三人兄弟を中心に構成された、男性ボーカルグループ。1963年にオーストラリアよりレコードデビューし、1973年からは米国を中心に活動。1955年から息の長い活動を続け、「Massachusetts」「Holiday」「How Deep Is Your Love」「Stayin’ Alive」「Night Fever」など、数多くのヒット曲を発表した。全世界で2億3,000万枚を超えるレコードを売り上げており、現在に至るまでビートルズ、エルヴィス・プレスリー、マイケル・ジャクソン、ポール・マッカートニーと並んで、音楽史上最も成功した上位5組に数えられる。1971年から1979年にかけて米国のビルボードチャートに9曲のナンバーワンヒットを送り出した。1978年の3月には、製作に携わった4つの楽曲が上位5位にランクインした。1997年に、アーティストの殿堂とロックの殿堂、2001年にはボーカルグループの殿堂、2004年9月20日にダンスミュージックの殿堂入りを果たし、音楽史上初めて4つの殿堂入りを記録した。他にも、「英国の音楽に多大な貢献を行ったアーティスト」の栄誉も受賞した。

Bee Gees / ビージーズの代表的なヒット曲

  • マサチューセッツ – Massachusetts (1967年) – 全米11位, 全英1位
  • 獄中の手紙 – I’ve Gotta Get A Message To You (1968年) – 全米8位, 全英1位
  • ロンリー・デイ – Lonely Days (1971年) – 全米3位, 全英33位
  • メロディ・フェア – Melody Fair (1971年) – 映画『小さな恋のメロディ』の主題歌として、日本でのみシングル・カットされ大ヒット。(オリコン3位)
  • 傷心の日々 – How Can You Mend A Broken Heart (1971年) – 全米1位
  • ジャイブ・トーキン – Jive Talkin (1975年) – 全米1位, 全英5位
  • ユー・シュッド・ビー・ダンシング – You Should Be Dancing (1976年) – 全米1位, 米R&B4位, 全英5位
  • 愛はきらめきの中に – How Deep Is Your Love (1977年) – 全米1位, 全英3位
  • ステイン・アライヴ – Stayin’ Alive (1978年) – 全米1位, 米R&B4位, 全英4位 – 日本ではホンダ・オデッセイのCMソング(2008年~)に使われている
  • 恋のナイト・フィーバー – Night Fever (1978年) – 全米1位, 米R&B8位, 全英1位
  • 失われた愛の世界 – Too Much Heaven (1979年) – 全米1位, 米R&B10位, 全英3位
  • 哀愁のトラジディ – Tragedy (1979年) – 全米1位, 米R&B44位, 全英1位
  • ラブ・ユー・インサイド・アウト – Love You Inside Out (1979年) – 全米1位, 米R&B57位, 全英13位

Bee Gees / ビージーズの経歴

ギブ兄弟は、オートバイレースで著名な英国マン島に生まれた。1946年9月1日にバリー、1949年12月22日にロビンとモーリスが二卵性双生児として誕生。1950年に父の故郷、イングランド、マンチェスターに移る。
1955年、ギブ兄弟は教会の合唱団に所属しキャリアをスタートさせる。自宅の近所には、後にハーマンズ・ハーミッツのリード・ヴォーカルとして英米で大人気を博すピーター・ヌーン一家が居り、ギブ一家とは家族ぐるみの付き合いをしていた。1958年、父の仕事の都合に因り家族7人(両親、バリー、ロビン、モーリス、姉のレスリー、末っ子アンディ)でオーストラリアのクイーンズランド州ブリスベンに移住。一番下の弟、アンディ(1958年3月5日-1988年3月10日)はマンチェスターで生まれたばかりだった。ここで兄弟は、小遣い稼ぎに唄うようになる。最初のグループ名はラトルスネークス(Rattlesnakes)、その後、ウィー・ジョニー・ヘインズ&ザ・ブルーキャッツ(Wee Johnny Hayes & the Bluecats) になった。

そして3人はラジオのDJ、ビル・ゲイツ(Bill Gates,マイクロソフト創業者とは別人)に紹介される。紹介者は、レーサーのビル・グード(Bill Goode)。ゲイツは、自分とグードのイニシャル(BG)から彼らのグループ名をBee Geesとつける。1960年に入るとテレビとラジオのレギュラー番組を持つようになり、1963年にフェスティバル・レコードより『三つのキッス』でレコードデビューする運びとなり、以後は国民的規模の人気を博すこととなる。 英米ミュージシャンの多くは黒人音楽に少なからずも影響を受けたが、ビージーズはエヴァリー・ブラザースからの影響を強く受けた。

1966年にはオーストラリアで最優秀ボーカルグループに選ばれ、翌1967年2月、シングル『スピックス&スペックス』が全豪NO.1ヒットしている頃、オーストラリアでの大人気に着目したビートルズのマネージャーであるブライアン・エプスタインは、自らが経営するNEMSエンタープライズに入社したての新人ロバート・スティッグウッドをオーストラリアへ赴かせ、ギブ兄弟にワールド・デビューの契約を持ち掛ける。

イギリスに帰国したギブ兄弟は、オーストラリアクイーンズランド州生まれでロンドン育ちのドラマー、コリン・ピーターセン(1948年生れ)、そしてオーストラリア時代から彼らのレコーディングに度々参加していたシドニー出身のヴィンス・メロニー(1945年生れ)をリードギターに迎え、5人編成として1967年5月にポリドール・レコード本社より『ニューヨーク炭鉱の悲劇』でレコード・デビュー。アメリカでの発売元であるアトコ・レコード(アトランティック・レコードの子会社)が、新人では前代未聞の25万ドルで契約し、話題騒然となる。

以後、「ラヴ・サムバディ」、「ホリディ」、「マサチューセッツ」(全米11位)、「ワールド」、1968年に「ワーズ」、「ジャンボー」、「獄中の手紙」(初の全米TOP10入り)「ジョーク」(同じく全米TOP10ヒット)

1970年10月に再スタート第一弾アルバム『2Years・On』を発売、翌71年1月にシングルカットされた「ロンリーデイ」を全米3位(キャッシュボックス誌では1位)とし続くシングル「傷心の日々」は念願の全米No.1となるが、アルバムセールスは低調だった。

1975年に芸能生活20周年記念アルバムでもある『メインコース』からシングルカットされた「ジャイヴ・トーキン」、「ブロードウエイの夜」がディスコブームに乗り、全米大ヒット。これより第三期黄金時代の幕開けとなる。

以後も、ダンスナンバーを中心とするコンテンポラリー路線を手掛け、1978年には半年以上も彼らが手掛けた楽曲がNo.1を占めるなどの快挙を達成(ビートルズ、シュープリームス、カーペンターズ以来)。1981年のアルバム『リビング・アイズ』がマイナーヒットに終わって以降は、各自のソロ活動と並行して他アーティストへの楽曲提供が活動の中心となり、数多くの全米ヒットを生み出す。

2003年、メンバーのモーリス・ギブが急逝。モーリス死亡後はロビンは再結成の意向はないと表明したが、2009年から活動を再開した。
2012年5月20日、ロビン・ギブの死去によりギブ3兄弟によるグループ活動は消滅した。

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